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大施餓鬼

日時 八月八日 午前十時より総会 十時半より法要 計一時間ほど

ご先祖様や、亡くなられた大切な方々をご供養申し上げる大事な法要です。直接手を合わせ、お焼香されて、み魂の菩提をお念じ下さい。法要終了後、お塔婆をお授け致します。
尚、当日ご都合のつかないご当家様は、お盆供養に合わせてご来寺下さい。

盂蘭盆供養会

日時 八月十三日 午前九時・午前十時・午後三時
十四日・十五日 午前十時・午後三時 の内、都合がつかれる時
久々にご自宅に戻られたご先祖様や、亡くなられた大切な方々に対し、心を込めたお接待のために、み魂を込めた五色のお盆供養旗を精霊棚にお飾りし、智山勤行式 (お経本) を読誦されて下さい。
なお、その旗と経典は、菩提寺でございます龍興寺にご来山賜りまして、まず、貴家み魂を皆様とご一緒(代表の方でも結構です)にご供養申し上げ、法要終了後、お盆供養旗とお経本をお授け致しますので、貴家精霊棚にお供え下さい。また、お盆供養のお布施のお問い合わせにお答えいたしますと、額の規定はありませんが、五千円前後ほどが多いようです。

大慈大悲母聖観世音菩薩

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 自らの幼気な子供たちが苦しんでいるのを、放ってはおけない母親の如く、私たちが抱えております諸々の辛さ、苦しみ、悲しみ、悩み、迷い、願いなどの、あらゆる世の中の声(世音)を漏らすことなく聞き届け、大いなる慈悲の心と自愛の眼差しをもって観守り、一切の苦しみを取り除いて心の安寧(あんねい)を与えて下さる母性具有の観音様です。
 右手は、親指(仏心)と人差し指(自心)とを合わせた智慧の印を結ばれ、左手は、清浄仏心の象徴であります未敷蓮華(みふれんげ)を掲げられ、本来私たちの心は、仏さまと同じ安楽清浄な心であることを示してくださっています。

輪蓋龍王 吉田ヶ池

薬師寺別院龍興寺境内に二つの池があります。
この池は千三百年前からある古い池で、霊験あらたかな龍王権現を祀る龍興寺の守護神なのです。
 この神秘的な池には大きな鯉がゆうゆうと泳いでおりました。
 苔むした池の廻りには白百合が咲き、はぎ茸が生えて、とても言葉では表現できない程の風情がありました。
 伝えるところによりますと、この池の水は地下を通って、遠く日光の中禅寺湖まで連なっていると言う伝説がありました。
 ある時、中禅寺湖で流した水杓子が、遥々地下を潜って、この池に浮んだと言われております。そのように言われる程、如何なる旱魃が襲っても、この池の水は豊かで涸れた事は一度もなかったのです。どんな時でも何時に変らぬ清らかな水が湧き出ていました。この池の魚を獲ると罰があたると言って、誰も獲る者も 食べる者もおりませんでした。
 この事は宗教上から考えてみますと、勅願所である薬師寺聖域の中で、そうした生き物を殺し食するということは、仏教で深く戒められた不殺生戒に叛くことであるからでしょうか。
 これに類したことは他の地方でもよく聞かれることです。
 又この池は雨乞いの池としても、広く名が知られております。
 この地方に日照が続き水不足に悩まされると、雨乞の祈禱を行ってきたのです。
この場合農家総出でこの行事に参加いたします。
 龍興寺の住職が龍王権現に雨乞の御祈禱を済ませますと、農家の人達が一斉に持参した桶で、この池の水を汲み出します。この時ばかりは、無礼御免でお互いにかけ合ったり、普段部落の人から、よく思われていない人等は一勢攻撃を受けて、寺へ逃げこむ人もおりました。
 昭和二十四年の旱魃の時にも、この雨乞いを実施いたしましたが、たしかに雨が
降った記憶があります。
 人工降雨を行う今日の科学において、これは誠に不思議な、非科学的な雨乞い
方法だと、否定する人もおりますが、科学では割り切れないものもあるのです。
 深い信仰を基盤とした農家の団結は、かつて今日まで、水争いのために、流血の
惨事を引き起すような事は一度もありませんでした。
 称徳天皇から御信任の厚かった道鏡禅師もこの池を常に愛し、木間隠れに
遠く霞んで見える筑波峰を眺めながら、朝な夕な静かに散歩したと伝えられて
おります。
 このコンコンと湧き出る池の水を手桶一杯汲み、お風呂に入れると、体がぽかぽかとあたたまり、神経痛や腰痛に利き目があるので、時々利用していた人もおり
ました。
 この古い由緒ある、龍興寺の吉田ヶ池も農地開放に伴い、五百年もの長いあいだ
この世の中を見守って来た杉の大木も伐採されてしまいましたので、昔の面影も
なくなり、今は水も涸れはててしまいました。
 時代の移り変りとは申せ、非常に残念に思っております。